緊急避難的仮設ブログ
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お年玉(笑)。
2015年12月31日 (木) | 編集 |
「秘密」


 六条成湫は苦悩していた。今までにも幸せ過ぎて怖いとか、これ以上の幸福を味わったら倍以上の不幸が襲ってくるんじゃないかとか、こんな幸せを噛み締めていていいのかとか、とにかく幸せ過ぎてどうしようと本気で苦悩していたが、今回は本物の苦悩を抱えて悩み苦しんでいるのだ。
 それはたとえば、こんな寒い日の朝のことだ。
「………ユキ?」
 大切な恋人がリビングの床に寝そべっているのを発見し、どうしたのかと成湫は声を掛ける。リビングの床暖房は温かく、そのまま寝そべっていても大切な人が寒い思いをすることはない。
 だから成湫は、ほんの軽い気持ちで声を掛けるのだ。
「そんなところで何をしてるんですか?」
 どうしてそんなところで寝そべっているのか、という些細な疑問に、けれど声を掛けられた恋人である橘行弘はビクッと背中を戦かせ、「なんでもない!」と言うなりササササッと逃げるように寝室へ駆け込んでしまう。
 成湫に背中を向けたまま、明らかに不審な態度で。
「ユキ………まさか、俺に愛想を……?」
 その後ろ姿に衝撃を受け、恋人を追い掛けることも出来ずに成湫は立ち尽くす。頭の中を巡るのは最悪な想像だけだ。
「あー、なんか腹が減ったな、そうだ、アレにしよう、うん、大河原警部に貰ったどら焼き」
 おまえも食べるだろ、と明らかに何かを誤魔化すように素早くどら焼きを取り出す行弘の髪はボサボサになっている。さっきまではツヤツヤの乱れもない髪だったのに、寝室から出てきた途端に乱れている髪に成湫は動揺を隠せない。
「ほら、六条もこっち来いよ、一緒に食おうぜ」
 冬だけリビングに設置されるコタツに座って行弘が笑顔で呼ぶ。ポンポンと隣へ促すように床を叩かれたら、もう成湫は「お茶でも煎れますね」と笑顔で言うしかない。
 さっきは何をしてたんですか、という言葉をグッと呑み込むしかないのだ。
「あの人は、………何かを隠してる」
 そんな行弘の不審な行動を何度か目撃してしまった成湫は今、苦悩のどん底にいた。そして、その度に尋けない疑問が積み重なって成湫の苦悩をどんどん深くしていく。
 行弘は真面目で、誠実で、隠しごとなど出来るような人ではない。なのに、何かを隠しているのだ。
「………俺は捨てられるのか」
 この二週間、目撃した行弘の行動を振り返って、成湫は静かに絶望していた。隠し事の出来ない人が、あえて隠し事をしているということは、それを明らかにされた時に自分は捨てられるのだと結論付けたからだ。
「ユキ………」
 最初は、みっともなく泣いて縋ろうと思った。その次は、笑ってさよならを言おうと思った。その次はいっそあの人を殺して……と考えかけて思い直し、三日前、澄み切った気持ちで尽くして尽くして死んでいこうと心に決めた。
 捨てられた時は自分が死ねばいいのだ。そう思えば、最後まで行弘の役に立てるように頑張れる気がした。
「六条、ちょっといいか」
 そして今、とうとうその時が来たと成湫は悟る。ちょっと緊張したような表情、自分を見つめる真っ直ぐな視線。乱暴に手招きするその指先すら愛しくて切なくなる。それでも、成湫は逆らったりしない。泣いてしまうかもしれないけれど、ちゃんと現実を受け入れて行弘に笑顔で頷いてあげると決めているからだ。
「ユキの言う通りにします」
 だから、なんでも言ってください。そう真剣な表情で言った成湫に、行弘は破顔する。
「じゃあおまえ、そこで立っててくれ」
 ちょっと、こう足を開いて、と言われて困惑しながらも成湫は言われた通り従う。
「………これでいいですか?」
 意味がわからないままリビングの真ん中で足を開いて仁王立ちし、緊張している成湫の前で行弘はいつか見たのと同じ格好でリビングの床へ俯せに寝そべる。
「あの、ユキ」
 言い掛けた成湫に、シッと指を立てて黙るよう指示する行弘に口を閉じて、困惑するまま立ち尽くす。ふと見ると行弘はダボダボのセーターを着ていて、それが二週間前に捨てようとソファの上に置いた自分のものだと気付いた。
「よし、ニャオ来い!」
 そう行弘が言った途端、どこにいたのか黒猫が素早くリビングに駆け込んで来て、そのまま成湫の足の間を通り過ぎる。
「!」
 シュババババッと猛スピードで走り抜けた黒猫は、あっという間に行弘とセーターの隙間に滑り込んだ。
「……………」
 唖然と立ち尽くす成湫をよそに、セーターの中へ抱き込んだ黒猫に頬擦りをして行弘は満面の笑顔で笑っている。
「どうだ六条、ニャオと特訓してたんだぜ」
 正月って言えば隠し芸だよな、と屈託のない笑顔で振り返った行弘に、成湫は安堵でヘナヘナと床へ崩れながら涙した。
「六条? どうした、なんで泣いてるんだ?」
 そんな成湫に、黒猫を抱いたまま行弘が慌てて駆け寄ってくれる。その優しさと温もりを感じて、成湫は本当に自分は心からバカだと実感した。
「六条? あ、もしかしておまえもやりたいのか? おまえに大きすぎるセーターなんかあったかな?」
 オロオロしながら聞いてくれる行弘に首を振って、そのまま抱きしめると、成湫はホッと息を吐く。
「幸せを」
 そうして成湫は絞り出すような声で行弘に告げるのだ。
「幸せを、噛み締めているだけです………ありがとう」
 自分はなんて幸福でバカな男なんだろうと笑ってしまいながら。
「なんかわかんないけど、喜んでくれてよかったな」
 なぁニャオ、と微笑う行弘にキスをして成湫は幸せを噛み締め直した。

happyhappy new year!!

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします

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ある日の「イイヨ!」な人々
2013年11月04日 (月) | 編集 |
◇幸せな二人の場合◇
 雨が降ったり止んだり晴れてみたり。そんな中途半端な天候の連休最終日。
「ユキ、今日11月4日は何の日か知ってますか?」
 ソファへ腰掛けた恋人の身体を抱き寄せながら、六条成湫は甘い声で問い掛けた。
「今日? 楽天の優勝セールが始まる日か?」
 ニャオのオモチャ買ってやらないと、と閃いてしまったのは抱き寄せられた非番の警部補、橘行弘だ。
「いいえユキ、今日は一年で一番寛大な心になれる日」
 イイヨ!の日です、と成湫はグッと親指をサムズアップする。「いいよの日?」
 なんだそれ、と首を傾げる行弘は不思議そうではありながらも興味を抱いたようだ。
「そう、どんなお願いや我儘にも笑顔でイイヨ!と」
 答えることで世界の幸福度が上がるという素晴らしい日です。
そんな成湫の説明を、素直に信じるのは行弘だけだ。
「なるほど、いいよって言って貰えたら誰でも嬉しいよな」
 納得したのか、膝に載せた猫に「ニャオもいいよって言ってくれるか?」と楽しそうに尋ねている。
「じゃあユキ、俺の我儘にイイヨ!って言ってくださいね」
 イイヨ以外は禁止だよ、と甘えたように頬を擦り寄せてくる成湫に笑って行弘は「いいよ!」と親指を立ててやった。
「まず、俺のことギュッと抱きしめて頬にキスしてください」
 囁くような声に一瞬躊躇って、それから行弘は「いいよ」と答える。ギュッと抱きしめてキスしたら成湫は酷く嬉しそうに微笑って行弘の頬へキスを返した。
「じゃあ、次はおでこにキスして………次は顎、笑わないで」
 お願いされるままに「いいよ」と返して、幸せそうな恋人の表情に行弘は笑ってしまう。
 まるで、幸せそうな黒猫みたいに見えるからだ。
「唇にも………ダメだよ、ユキったら笑ってばっかり」
 行弘が唇を押し当てる度に、成湫は返事をするみたいに同じ仕種でキスを返す。二人して笑いながら、いいよの応酬だ。
「お日様が出てる時間だけど…………ベッド、行こうよ」
 いいよ、という答えが返されるのがわかっていて、甘い声で告げる成湫は狡い。
 それ以外の答えを言わせないようにキスばかりするからだ。
「六条、…………今日はいいよの日だろ?」
 そんな我儘な唇を指で摘んで、行弘は飛びきり格好いい表情で成湫を睨んでやる。
「早く、おまえを全部俺に寄こせ」 返事は、と囁く声に成湫が返す言葉は一つしかない。いいよという甘い声は、重ねられた吐息に掠れてしまった。


◆幸せ?な二人の場合◆
 相手の我儘や要求を受け入れ、誰もが笑顔になることにより世界の幸福度が上がるという11月4日、イイヨ!の日。
 深夜近くになって隠しエレベーターからマンションの五階を訪れたのは、大家であり部屋主の恋人でもある黒坂乙彦だった。
「啓介、啓介、……………啓介、起きてください」
 ぐっすりと眠っていた恋人を情け容赦なく揺さぶり起こし、何の遠慮もなくベッドへ腰掛けた乙彦は不機嫌だった。
「乙彦…………どうした、何かあったのか?」
 寝起きの掠れた声で尋ねて、無意識にか本能的にか乙彦の手を引いてベッドへ招き入れようとするのは苅谷啓介だ。
「許可なく触らないでください、図々しい」
 ビシッと啓介の手をはね除けて乙彦は高らかに宣言する。
「俺は今機嫌が悪い、俺の幸福度を上げてください」
 今日はイイヨの日だ、イイヨ以外の返事は受け付けない、と言い放った乙彦に、啓介は仕方がないなと苦笑して頷いた。
 機嫌が悪い乙彦が自分に甘えているのかと思ったのだ。
「では、この白紙委任状に署名と捺印をお願いします」
 サッと差し出された書類とペンに、断ろうとした瞬間最高潮に機嫌が悪い乙彦が無言でプレッシャーを掛けてくる。
「う、いや、その………………………イイヨ」
 言った途端ペンを握らされ、印鑑の代わりに拇印をキッチリ押させられて親指が朱肉の赤に染められた。
「次、このブラックカード貰っていいですか、いいですよね」
 恐ろしく据わった目でジーッと見つめられて啓介は小さく、消え入るような声で「イイヨ」と呟いた。
「じゃあ次、俺のために大声で歌いながら成湫さんの部屋から猫ちゃんを誘拐してきてください」
 今日はあの子がいないと眠れない、と寂しそうな調子で言い出した辺りで啓介はようやく乙彦の異変に気付いた。
「乙彦…………おまえ、まさか酔ってるのか?」
 まさかと思いながら尋ねた啓介に、「イイヨ以外は受け付けません、黒猫万歳!」と叫んで乙彦はバタリと倒れてしまう。
「お、乙彦? 乙彦…………俺と結婚してくれ!」
 そんな啓介の一世一代の告白に、イイヨ、という声が乙彦の唇から返されることはなかった。


☆おまけ☆
「ニャオ、今日は全部イイヨって答えろよ、幸せになれる」
 行弘は笑顔で最愛の黒猫を抱きしめた。
「ニャオ、抱っこ」
「ニャオ、チューは?」
「ニャオ、昼寝しような」
「ニャオ、あ~んは?」
 そんな行弘と黒猫の蜜月は唐突に終わりを告げる。
「ニャオ、俺と風呂に……………逃げやがった!」
 成湫は黒猫の風呂嫌いに心から感謝したという。

イイヨ!で世界をハッピーに☆happy Jgarden.



ある日の「白と黒な人々」
2012年08月12日 (日) | 編集 |
 その素敵なお便りが届いたのは、晴れた休日の午後だった。
「せっかくの休日にすみません、お届け物がありましたので」
 いかにも恐縮そうに頭を下げるのは大家の黒坂乙彦だ。手にした箱は重そうで、部屋まで届けて貰ったほうが恐縮ものだ。
「すみません大家さん、どうぞ上がってください」
 素早く荷物を受け取った瞬間、背後にいた男に箱を奪われてしまったのは橘行弘。休みを満喫する若き警部補である。
「こんなに重いものをユキに持たせるなんて神経を疑うよね」
 その荷物を抱えたまま大家の職務怠慢だと訴え始めるのは、そんな大家に教育された男、裏社会に君臨する六条成湫だった。
「六条、なに馬鹿なこと言ってるんだ、大家さん中へどうぞ」
 ペシッと成湫の頭を叩いて、軽く睨む行弘は、その大胆不敵な行動に固まる乙彦に気付いていない。
「……………実は仕事が忙しくて、申し訳ありません」
 心の底からお邪魔だとわかっていて玄関を上がるのは辛い。
「ユキの美しく寛大な心に感謝して帰れ」
 そそくさと逃げ出す乙彦は、逃げられたことに感謝した。
「六条、中身なんだった?」
 自分の実家からだとわかっているのだろう、冷蔵庫から飲み物を持って来た行弘は当然のように成湫が開けると思っている。
「ユキ宛だよ、ちゃんと本人が開けなくちゃ」
 神妙な表情で言う成湫は、密かに行弘宛の郵便物の一つ一つを開封し、内容を確かめてから大家に渡す男だった。
「おまえ、そういうとこ生真面目だよな」
 感心したように言って段ボールを開けた行弘は、開けた次の瞬間慌てて閉める。人前では出せないものが入っていたからだ。
「ユキ? 何かあった?」
 不思議そうな表情をする成湫は、その中身を自分がオーダーしたものと入れ替えるのを密かな楽しみにしている。ごく稀にそのまま行弘へ渡す時もあるが、今日はその稀な日だった。
「お袋め、またパンツ送ってきやがった」
 恥ずかしいからって言ったのに、と赤くなって憤慨している行弘に成湫は宥めるような丸め込む笑顔だ。
「忙しいユキのためだよ、ちゃんと受け取らなくちゃ」
 いいお母さんだね、と微笑む成湫に、そうだな、と思い直す行弘は操られやすい人間だと言える。
「パンツなんて誰だって穿いてるもんです、平気ですよ」
 むしろ穿いてないほうが恥ずかしい、とサラリと言われては恥ずかしがっているほうが可笑しいのだろう。
「よし、………変なパンツでも笑うなよ?」
 勿体ないから俺は穿く、と妙な宣言をして段ボールを開けた。
「黒猫?」
 中から出てきた白地のブリーフに行弘は首を傾げる。可愛い黒猫の顔が刺繍された行弘の名前がローマ字で入れられていて、黒地に白の糸で刺繍されたものには成湫の名前があった。
「ユキちゃんへ、六条くんと仲良く使ってください、ケンカはしないこと、母より」
 サイズはお兄ちゃんが選びました、お父さんは青、お兄ちゃんは赤、明くんは緑よ、母さんはピンクだけど、という不要な情報に溢れた手紙に行弘は軽い目眩を覚える。どうして自分には白で成湫には黒なんだと問いたくなるのは、いい年をした男のパンツが白のブリーフだなんて嫌すぎるからだ。
「いつもの橘家カラーじゃないですね」
 橘家では家族それぞれ、決まった色で持ち物を分けている。
「刺繍するパンツ自体にカラー展開がなかったんだろう」
 刺繍は母の手製だが、下着自体は既製品だからイレギュラーに色が変わることもあるらしい。
「お母さん、俺の分まで刺繍してくれたんですね」
 嬉しそうな成湫に、まあいっかと思えるのは、文句を言うのは大人げないし、成湫が喜ぶならいいかと思えるからだ。
「ユキ、今日から俺たち、お揃いのパンツだね」
 なんだか照れちゃう、などとニヤニヤしている成湫に行弘は赤くなるだけで言い返す言葉が見つからない。
 そんなの、行弘だって最初に思ったことだからだ。
「見てみてユキ、十枚もあるのに全部猫のポーズが違うよ」
 お母さん職人芸だね、と成湫は感心している。どうでもいいから綺麗な顔して俺が穿くパンツをしげしげ見るなと言いたくなるのは行弘の心が狭いのだろうか。
「ユキにピッタリだね、………似合いそう」
 うっとりと行弘のパンツを長い指でなぞる成湫からは、何かいけないオーラが溢れていた。
「も、もういいだろ、パンツは終了だ、終了!」
 言いながら、二人分のパンツを抱えて洗濯機に放り込む行弘は、それを誰が洗って干して畳むかを考えないらしい。
 日々のパンツさえ、成湫の手によって管理されているのだ。
「最高の浮気防止策だな、………ありがとうお母さん」
 あれだけ恥ずかしがっていれば、人前でパンツを曝すことはないだろうとほくそ笑む成湫の黒さに行弘は気付いていない。
「よし、荷物の続きだ」
 とりあえず洗濯機に隠して満足してる行弘は、今後のパンツ人生が決定したことも知らずに笑っている。
「あ、靴下も黒猫だ、お袋、刺繍にハマってるんだな」
 他の衣類があるなら下着を一番上に入れるのは止めろと思う行弘は、荷札の商品名が「息子のパンツその他」だと知らない。
「………それより、お揃いのパンツを穿いて見ませんか?」
 さり気なく隠し持っていた白と黒のパンツをヒラヒラと軽く靡かせる成湫に、行弘が屈したのは三分後のことだった。
2012.happy summer.


ある日の「刑事さんと夢見る人々」
2010年08月15日 (日) | 編集 |
 その日、橘行弘は部下と共に街を歩いていた。署へ戻る途中、立ち寄ったのは行きつけのカレー屋「黒猫カレー」である。
「やっぱり夏はカレー食って体力付けないとな」
 カウンターに腰掛けるなり「黒猫セット」と注文する行弘とは裏腹に部下の千葉直行はメニューを前に考え込んでいる。
「いちいち悩むなよ、おまえも黒猫でいいだろ?」
 黒猫セットは早いし安いしデザートまで付いてお得感満載だと言う行弘は基本的に早ければ何でもいい男だ。カレーが好きなのも味自体が好きというよりも早くて美味しくてお腹が一杯になる、という点が魅力的だからと言えるだろう。
「悩みますよ、橘さんのオゴリなんだから贅沢しないと!」
 悩んでいる千葉は上司の奢りで食べるならメニューを吟味するらしい。無料、タダ、奢りという言葉が何よりも好きな男なのである。
「おまえ、最強のカレー理論を知らないのか?」
 パスタメニューで悩んでいる千葉を見て行弘は肩を竦めた。
「いいか千葉、カレーに勝る顧客誘導メニューはない」
 たとえばうどん屋の入り口で誰かがカレーうどんを食べている。すると、店に入ってきた店の8割がカレーうどんを注文し、残り1割がカレーにすればよかったと思い、残りの1割は注文しなかったカレーに思いを馳せるという。そう、カレー屋でカレーを注文しないのはカレーが注文できない諸事情がある者だけなのだ。
「だから素直にカレーを注文するのが一番合理的なんだ」
 そう言って満足げに頷く行弘はカレー理論をいつ完成させたのだろう。行弘がカレーを食べまくっているのは単に好きだからのような気がする、と思いながら千葉は白黒セットを注文した。
「そういえば橘さん、警部の噂聞きました?」
 実はシークレットブーツ疑惑が、と千葉が声を潜めた瞬間。
「このクソガキが! このスーツどう責任取ってくれる!?」
 ガシャン、と派手な物音と共に店内には男の怒鳴り声が響いた。
「ああ? すみませんじゃねんだよ、どうすんだってんだ!」
 声を強めたり弱めたり、小学生らしき少年を怒鳴る男は慣れた様子で恫喝じみたやり取りを交わしている。泣き出した子供の横で父親らしき男性は真っ青になって震えていた。
「ガキのしたことは親が責任取るのがスジだよな? あ?」
 チンピラそのままの柄の悪い口調で、「誠意を見せろ」と男が言った瞬間、行弘は少年を背に庇うように男の正面へ立った。
「あ? なんだおまえら、関係ないヤツは引っ込んでろ!」
 突然出てきた行弘に噛み付く矛先を変えた男は、けれど怯みもせずに睨み返してきた行弘にビシリと固まった。
「警察だ、文句があるなら署へ行って話を聞こうか」
 千葉、と短く声を掛けて連れて行けと指示するように顎を軽くしゃくって見せる。パタンと閉じた身分証明書に慌てる男を逃げられないように拘束して千葉は店外へ引っ張って行った。
「怖かっただろ、もう大丈夫だからな」
 驚きに固まっている子供の頭を撫でて、呆然としている子供の親らしき男性に名刺を渡す。
「被害届を出していただきたいので、署までご足労願えますか」
 そう言って、スプーンを振り回していてカレーを男の服に引っかけてしまったという少年を慰めるように頭をグリグリ撫でた。
「は、はい…っ、刑事さんありがとうございましたっ!」
 真っ赤になって感激したように行弘を見上げる少年は憧れの人を見るような眼差しになっている。
「お騒がせしました、お勘定お願いします」
 そして、注文しただけで結局食べなかったカレーの代金を払うと行弘は少年と共に颯爽と店を後にした。
 背中でワッと沸き起こった拍手と感謝の言葉に照れながら。

『あこがれの刑事さん』
 ぼくは刑事さんに助けてもらいました、という文で始まる新聞の読者投稿欄を目で追いながら六条成湫は満足げに笑みを深めた。
『刑事さんは悪い人をアッというまにやっつけて、ぼくとお父さんを助けてくれました。すっごく格好よかったです』
 刑事さんは橘行弘さんという名前で、と続く文にアイスティーを差し出した乙彦も楽しげに微笑む。
「これで刑事さんの夢が一つ叶いましたね」
 嬉しそうに新聞を読んでいる成湫の横で、買ったばかりの同じ記事をラミネート加工している乙彦も上機嫌だ。
「ああ、ユキがこんなに可愛い夢を持っていたとはな」
 大成功だ、という成湫と乙彦は行弘の小さな夢を知った時からコツコツと根回しを重ね、こうして今回の結果を得た。
「お父さんとお母さんには三部ずつお送りしろ」
 お兄さんは一部でいいだろう、と言って額に入れた新聞を壁へ掛ける成湫は同じ新聞を買い占める勢いで買ってしまう男だった。
 読む用、観賞用、保存用、予備用、配布用、色々だ。
「警部の家にも送っておけ、ユキの活躍を思い知らせないとな」
 千葉には所持させるな、と言うのは行弘の記事を読ませるのは勿体ないからだろう。まるで邪魔者扱いである。
「ユキ、ユキにも後で読んであげるからね」
 忘れ去られている餌を要求する黒猫に、上機嫌でキスを与える成湫は新聞記事で頭がいっぱいらしい。不機嫌そうに唸って猫は乙彦の足下へ擦り寄った。切り替えの早さが猫らしいと言える。
「ユキが帰って来たら一番に新聞を見せてあげないと!」
 いっそ壁一面に貼って出迎えようか、と悩み始める成湫は根本的に発想自体がストーカーな男だと言える。それは…、と乙彦が言いかけた時、玄関のドアが開いた。あの人が帰って来たのだ。
「おかえりなさい刑事さん、……………新聞、読みましたよ」
 微笑む成湫に、恋人は照れたように笑った。
happy end,Summer!


ある日の「黒い○○」な人々
2009年08月12日 (水) | 編集 |
 ウサギは淋しいと死んじゃうのよ、という与太話を聞いたことがあるだろうか。蒼いウサギは淋しいと死に、黒いウサギは薬でハイパーになるらしい。
 では、黒い○○は?
「………成湫さん、最近猫ちゃんが暴れているという噂が」
 秀麗な眉を顰めて、困ったような表情で報告するのは黒坂乙彦。何事にも完璧を追求する、社長と猫にだけ優しい大家である。
「ユキが?」
 怪訝そうに眉を持ち上げ、本当かと促すのは六条成湫。恋人と猫にだけグズグズに甘い、警視庁的には真っ黒の若き社長だ。
「はい、これを……」
 差し出された数枚の写真と報告書を受け取った成湫は、心持ち心配げな表情で書類に目を通していく。
『報告事案その1:通りすがりの千葉氏にいきなり噛み付く』
 その報告文に成湫は軽く眉を持ち上げ、微かに笑みを浮かべた。
『報告事案その2:苅谷弁護士にドロップキック』
 その後、有無を言わせず顔面を引っ掻く、という報告に成湫の笑みは深くなりニヤニヤと頷いて見せる。
「どうやらユキは淋しいようだな、元気さをアピールして淋しい気持ちを紛らわせてるんだろう」
 黒い猫は淋しいと暴れるからな、とご満悦な成湫に乙彦も軽く頷いて見せる。
「ええ、その次の報告も『十也を威嚇して全身を逆毛立てた』で、何の問題もないかと思います」
 少々噛まれたり引っ掻かれたぐらい、どうということはないでしょう、と言ってから新たな書類を差し出す。
『報告事案その7:刑事さんを朝見送る際、ニャーニャーと悲愴かつ愛らしい鳴き声で鳴き続け、刑事さんを涙ぐませた』
 その報告に目を止めた瞬間、成湫の中で黒い猫を寂しがらせることは重要な大問題へとすり替えられた。
「大変な問題だな、ユキがここまで寂しがっているとは……」
 どうにかしなければ、と立ち上がった成湫に、乙彦も真面目な表情で頷く。
「すでに手は打ってあります」
 サッと素早く成湫にスーツの上着を着せ、スッと開けたドアを手で押さえながら乙彦は続ける。
「猫ちゃんには最新の猫グッズとおやつを用意しました」
 動くオモチャから生きたネズミ(殺菌処理済み)まで用意してあると言う乙彦に頷きながら、成湫は眼差しを強くした。
「ああ、だがユキはそんな子供騙しには騙されない」
 あの子はそこら辺の馬鹿猫とは違う、聡明だからな、と断言し、やっぱり俺がいないとダメだろう、という言葉に乙彦も頷く。
「ええ、成湫さんがいないと猫ちゃんの孤独は癒されません」
 明日は休みにしておきます、という言葉に成湫は微笑った。
 そうして仕事を投げ出して辿り着いたマンションで、成湫は愛猫を思う存分抱きしめ、頬擦りし、可能な限りの体力を駆使して遊び倒した。その合間に猫に美味な餌を与え、一緒に昼寝をし、最後には風呂へ入れることにまで成功したのだ。
「ユキ、寂しがらせてごめんね………ずっと一緒にいるからね」
 そう言って抱きしめた成湫に、猫はニャンと小さく鳴いて胸にすり寄りながら甘えてくる。
 まさに蜜月。ここ数年で二人が最も仲良くなった瞬間だった。
「!」
 ピクリと耳を動かした猫に、成湫も素早くキッチンへ向かうとパネルを操作する。愛しい人は帰ってくる予定ではないからだ。
「ユキ?」
 なのに、小さなモニターに映った恋人の姿に、成湫は嬉しいと思うより先に怪訝な気持ちになった。
 どこか体調でも崩したのかと思ったからだ。
「ユキ、大人しくしてるんだよ、あの人が帰って来るからね」
 途端に脳内が恋人で一杯になった成湫は、もしも体調が悪い時は猫を大家へ預けようと決意する。具合の悪い時にはしゃぐ猫の相手なんてさせられないと思うからだ。
「飛び掛かったりしたらダメだよ、うるさく鳴くのもナシだ」
 さっきまでの甘い口調とは打って変わり、細々と猫に注意する成湫にチラリと視線を向けた後、黒猫は大きな欠伸を返した。
「…………とにかく、静かにしてろ」
 その態度に何か思いつつ、低い声で一言釘を刺した成湫は次の瞬間、蕩けるような甘い笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、刑事さん」
 愛しい人が、思いがけない時間に帰って来てくれたからだ。
「おう、ただいま黒い金融屋、………ニャオ、ただいま」
 ドアを閉め、鍵を掛けるなり振り向いた恋人は。
「おまえが心配で帰って来ちゃっただろ! 馬鹿猫!」
 そう叫ぶなり黒猫を抱き上げ、思い切り頬擦りをしながら足早にリビングへ向かっていく。
「あの、おかえ……………聞いてないですよね」
 完全に恋人からスルーされた成湫は、その後をいそいそと追い掛けながら思い切り割り切れない何かを噛み締めていた。
「なんだよニャオ、やっぱり淋しかったのか?」
 ゴロゴロ喉を鳴らしながら甘えてくる黒猫に、恋人は嬉しそうに目尻を下げて撫でまくる。猫は成湫をチラ見して華麗に無視だ。
「だってあれだもんな、猫は淋しいと死んじゃうんだもんな」
 猫を抱きしめたままソファに寝転がってイチャイチャし始めた猫と恋人に、完全に存在そのものを無視された成湫はグッと拳を握りしめた。何か説明できない禍々しい何かが込み上げてくる。
「ユキ、金融屋は淋しいとキレちゃうんですよ」
 そうして黒い金融屋は欲望を満たすため、ソファへダイブした。

happy summer time!

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